2014年12月23日

もーちょっと語ると、


【以下、2014/12/22のツイートの増補版】

なんか「再削除」されるそうなので、ワタクシも記念に。イントロのへんな配置を交互に踏むのが好きでした。

20141222ダンダリフルコン.png

ところでガロPaってなんでつぶれないんだろう?印刷した譜面をトイレで見つつDDR3rdに粘着した夏は15年前。インクが汗で滲んでたなぁ。あれから15年、少し上手に矢印を踏めるようになりました。

20141222キャプジャフルコン.png

あ、正確に言うと「14年前」でした。失礼。

--------

で、もーちょっと語ると、あの夏に必死こいてDDR3rdに粘着した結果、DPの渡りの基礎技術はその時点で確立できたんだなぁと思う。

そのベースがあるから、15年経った今もある程度は踏めるんだなぁと思う。

その頃から、SPだとなんか狭っくるしく感じて、DPばかりやって来たので、逆にSPにおける基礎的なことがあんまり身についていない。
未だに縦連が苦手だったり。
SPだと縦連の箇所が、DPだとバラバラになるってパターンはいくつかあったと思うので。DEAD ENDや速いキャンストあたりが顕著だろうか。

皆がMAX 300とかでワーキャーやってSPの技術を確立するころに、DPばかりやってて差がついた部分かなぁと思う。

まぁ、みんなが通る道をちょっとだけ外れて歩くのが好きな性分なんだわな。

そして、DPで広めにステージを使って交互に踏むのが一番楽しいのです。

--------

こういう風に、学生のころに必死こいたことで身についた基礎技術は、一生残るものなんだなーと肌で感じるわけ。

例えば、
・ドラムの8ビート(小4〜高1)
・英語長文問題の速読(中2〜3の英検勉強)
とかも基礎知識・技術として身に「ついて」いる。
最近だと「ハーフマラソンの走り方」とかも。

基礎ってのは身に「ついて」いるものなんだなぁと思う。身に「つける」ものじゃなく。
当時、DPで渡る技術を「つけたい」とか、8ビートを身に「つけたい」とか、英語を早く読む力を「つけたい」とか思ってたわけじゃない。
1年以上に渡って必死こいたことで、自然と身に「ついた」のだ。

思うに、身に「つけよう」と思って取り組んだことは、案外すぐ忘れてしまう。
何か理由をつけたり、頭で考えてやろうと思ったことほど、後々に残らないものなのかなぁと思う。
鍵盤をうまくなりたいと思ってピアノ教室に1年半通ったけど、今は全部忘れてしまっていたりするし。

新たに何かに取り組んだとき、ひとつ目標を達成したらパタッとそこで終わり、となってしまっては能力にはならないわけだ。
いつまでたっても自然に続いてる、ってくらいまでの衝動やモチベーションがなければならないわけ。

目標はあくまでも目標であって、ゴールではないわけ。
それは常に頭に入れておかないと。

今、新たに身に「つけたい」なーと思ってることはいくつかあって、
例えば
・ダーツ
・水泳
・英単語の語彙力(ボキャブラリ)
とかがある。どれも新しいね。

でも、どれも身に「つける」で止まってしまってはつまらないのだ。自然に身に「つく」ところまで行きたいものだ。

行けるかなぁ。
やってみないとわかんないよね。
posted by エス佐藤 at 09:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする